アンサーソング

あるバンドマンに、曲を作ってもらったことがある。

 

 

 

と、言うと少し語弊があるんだけれど、

正確に言えば、「私の言葉をきっかけに作られた曲」がある。

 

 

 

 

中高生のころ、よく聴いていたバンドがいた。

 

それでも世界が続くなら。それせか。

 

そのバンドの音楽は、音楽的に好みとか、そういうのよりも、救われるために聴いているような感じだった。

私は中学生くらいの時、人間関係とか家庭の事情とか、そういうのに悩んでいて、学校に行きたくなかったり、家の誰にも本音を話せなかったり、まあそういう感じで一時どうしようもなく病んでいた。とは言っても今思えばその悩みも、例えばいじめがあるとか家庭内暴力があるとかそんな大層なことではなくて、人並みに誰しもが10代の頃に陥るような、その程度の葛藤だったと思う。だけど、まだ世界が狭かった自分にとっては、自分は周りの誰よりも不幸ぐらいのことを思っていた。

そんな中で、そのバンドの音楽だけが救いだったと、そう公言していた時期があった。というか、当時を思えば本当にそうだったと思う。

 

彼らの音楽は綺麗でもなければ上手くもない。歌声が特別綺麗でも、音楽性がすごいわけでもない。むしろ、荒削りな声で、時には音程を無視して、そんな感じ。受け入れられない人には受け入れられないような音楽だと思う。

 

でも、彼らの歌詞はリアルで赤裸々で、実際私が当時抱えていた思いを見事に表現していた。それまで歌なんてみんな綺麗事を並べているだけだ、と思っていたのに、彼らは傷つきたいなら傷つけよ、のスタンスで歌詞を書いていた。自分が誰よりも不幸だと思うとか、他人と比べてどうとか、そういう誰しもが内に秘めている思いを的確に言い当てていて、だから響いたし、彼らはわかってくれているんだ、と子供ながらに思った。私はどうしようもなく自己肯定感が低い人間だったから(今もそうだけれど)、そういういわゆる「生きにくい」人たちに向けて、同じ目線からその生きにくさをわかるよって、そう言ってくれる音楽だった。

 

ネットでたまたま見つけたブログで紹介されていた「水色の反撃」を聴いた時、私は鳥肌が止まらないという初めての感覚に出会った。初見でビビッとくる音楽にその後何度か出会ったけれど、それを初めて経験したのはまぎれもなく彼らの音楽だった。それが出会い。

 

そこから、「私の葛藤を理解して昇華してくれるのはそれでも世界が続くならの音楽だけだ」、という、私の世界が創り上げられていった。

 

中高生の頃は、何か人間関係で嫌なことがあると、「私には音楽があるからいい、音楽しか信じてないし」と虚勢を張っていたのを思い出す。そういう世界の中に居て、言い訳をすることで自分を守っていたと思う。

人見知りで友達が多くなかったから、部活帰りは大抵1人で帰っていた。校門を出た瞬間にイヤホンを耳に押しつけて、「私は1人で平気だから、音楽があるし」と言い聞かせて早足で歩いていた。

 

思い返せばなんて可哀想な奴なんだ、という感じもするけれど、あの頃に音楽を好きじゃなかったら自分はここまで自分を繋ぎ止めていられなかったかもしれないな、と少しだけ思う。

 

まあとにかく、そうやって音楽やバンドというもので自分を言い聞かせて守っていたころ、たくさんのバンドに出会ったけれど、本当にメンタルがボロボロになって苦しい時・辛い時には、「それせかしか聴けない」こともあった。

 

 

ある時、理由は忘れたけど家のことで、どうしようもなくイライラが溜まって爆発しそうになった時があった。

だから、やっぱりそれせかの音楽を流した。プレイヤーの音圧じゃ物足りなくて、ベースアンプにiPodを繋いで、近所迷惑になるくらいの音量で、爆音で流した。それが親への当てつけでもあった。

その時聞いたのが、「サウンドチェック」という曲。今までにはなく、ただめちゃくちゃにボーカルのしのさんが叫ぶ曲。

 

シャウトとか、そういう音楽には全く興味がなかったから、私はその曲が好きじゃなかった。歌詞に大した意味はなくて、ただお腹の底から叫ぶだけみたいな曲。

 

だけど、イライラした時にはその曲を聞くのが定番になっていた。自分が叫ぶ代わりに、代わりに叫んでくれる曲を聴くことで、少しでも気持ちを晴らしていた。

 

その日は聴くだけじゃもう気持ちが収まりきらなくて、イライラしながら入ったお風呂で、またその曲を流しながら、湯船の中で叫んだ。水の中なら聞こえないから。その曲と一緒に叫んで、すべて晴らした。

 

そうしたら、その後に、流れてきたのは「奇跡」という、すごくすごく優しい曲だった。アルバム順で、サウンドチェックの次に流れる曲。正反対みたいに、曲調も歌詞も優しい曲。

 

そこで、私の心はすうっと救われた。

 

 

 

中学生だった私は、その感動をどうしても本人に伝えたかったんだろうな、ツイートするには長すぎる文章をわざわざメモ書きして、そのスクリーンショットを本人に送りつけた。今なら絶対にできない、そんなこと。

以下、恥を忍んで当時、本人に送ったそのままの文章を載せます。

 

 

昨日なんかよくわかんないけどすごくイライラして、どうしようもなく自分にイライラして何も手につかなくなって、大声で叫びたいけどそんなのできないし、物に当たっても満足しなくて、初めてこんなにイライラしたって日でした

それで、どうにもおさまらないからお風呂で湯船の中で叫んだんです、水の中だったら聴こえないから。それでこれは音楽の使い方合ってるのかわからないけど、お風呂でiPodサウンドチェック流して。正直はじめはサウンドチェックって、ちょっと好きじゃないかもって思ってたけど、昨日はじめてすごく響いて、すごくよくて、よくわかんないけどそのおかげですごくすっきりして、代わりに曲が叫んでくれたみたいな、そしたらそのあと奇跡が流れてきて、それではじめてアルバムの曲順の意味が分かったというかすごいと思って、サウンドチェックと奇跡は真逆の感じなのになんかその流れがすごくいいなとおもって、前からそれせか好きだけど、こんなに救われたのはじめてです、よくわからないけどありがとうございますって伝えたかったんです、大好きです

 

 

 

ひどい文章。感情のままに書き殴ったような記憶がある。

 

このメッセージに、彼からは「わかる気がする ありがとう」とだけ返事が来た。読んでもらえるだけで十分だった。

 

はずだった。

 

 

 

 

 

 

その数ヶ月後、ある曲のPVが出た。

タイトルは「浴槽」。

 

その時は何も思わなかった。何も知らなかったし、気づかなかった。

 

PVが出た数週間後、ボーカルのツイートを見て、心臓が止まるかと思った。

 

 

 

「浴槽」

ある女の子からのリプライ「それでも世界が続くならのあの曲好きじゃなかったんですが 急に叫びたくなって 叫ぶ場所がなくて その好きじゃない曲を流してお風呂に潜って叫んだんです」の返信です シャワー浴びてると独り言をする時期が僕にもあって その多くは「返してくれよ」でした

 

 

息が詰まった。

なんの疑いもなく、これはわたしのことなのだとすぐに分かった。

 

私からの、ただ一方的に伝えたかった、「あの曲を作ってくれたおかげで救われました」というメッセージ。それに対する、明確な「返信」が、音楽で返ってきた。

 

 

 

こんなことがあっていいのか。

 

私の言葉から曲ができたなんて。

 

 

 

 

 

さらに、この「浴槽」という曲のPV映像はファンの公募で作られていて、私も動画を応募していた。そして、私が撮った映像は、曲の頭と、そして、一番最後に使われている。これは、全くの偶然として。

 

どういう巡り合わせなのだろう。

 

 

PVが公開された時、私は自分の映像がすごくいい部分で使われていることに喜んで、自分の映像が、たとえ一瞬だろうがなんだろうが彼らの曲の一部になって、残り続けるのだということに大喜びした。それだけでもちろん十分だった。

 

その数週間後、それを遥かに超える事実を知った。

これは私へのアンサーソング。私のための曲だなんて烏滸がましいけど、そう思えるくらいに、「私に向けた曲なんだ」ということや、「私のメッセージが曲を生んだんだ」という事実が押し寄せてきた。

 

 

 

そして、それと同時に思ったのは、これはわたしに「参加賞」をくれたのだな、ということだ。

 

彼らの代表曲に、「参加賞」という曲がある。

 

そうだなできれば参加賞が欲しいな

 

「ここにいた」ってこと証明してみせてよ

 

 

音楽のいいところは、バンドがなくなっても作った人間が死んでしまっても、歌だけは永遠に残り続けて、聴き続けられるということ。

「浴槽」という曲が出来て、残り続けることは、私が「ここにいた」「生きていた」ということの証明になるのではないだろうか、と。

 

なんとなく、自分が生きていたことが残ればいいなと思っていた。だけど、私には例えばこうして文章を、インターネットという膨大な場所の隅に書くことしかできない。

でも、彼らの曲は、きっと誰かが聴き続けてくれる。だって、音楽なんだもの。あの曲が私の言葉から生まれたのだとすれば、あの曲が残ることで私の意思も残り続ける、そういう解釈をしてもいいんじゃないかな。

 

からしのさんは、それでも世界が続くならは、私を何度も音楽で救ってくれたし、自分の言葉から曲が生まれるという貴重な経験をくれたし、参加賞をくれました。

 

 

今、大人になって、自分の感情とかメンタルのコントロールができるようになったし、前よりは人付き合いが上手くなって、前みたいにひどく落ち込んだり病むことはなくなりました。

それに伴って、わたしはそれせかの音楽からゆるやかに、離れていきました。

 

だけど、必ず彼らの音楽が必要な、苦しんでる人が居ると思う。彼らの音楽にしか救われない人が、一定数、少なくても必ずいると思っています。

そして、私は時々彼らの音楽を思い出したように聴いて、当時を思い出して、少しだけ穏やかな気持ちになります。

 

彼らの音楽から離れていくことは、彼らにとってどうかはわからないけど、私にとってはいいことなんだと思う。成長なんだと思う。本当に、色々なものをくれました。ありがとうございます。

 

 

 

この文章を書くに当たって、久しぶりにサウンドチェックから奇跡、という流れでアルバムを聴きました。改めて、この曲順の意味を噛み締めます。そして、奇跡という曲が本当に好きだなと思います。

 

その大好きな一節を。

 

 

きっと僕らはなんにもなれないけど

でも僕らはなんにでもなれるんだ

優しくなれないなら死んだほうがいい

誰が言ったの君にそんな嘘を

 

あり得ない って言い切った奇跡が

ほら そこらじゅうで僕らを笑った