People In The Boxでわたしは旅をする。
直訳すれば箱の中の人々のくせに、彼らはどこまでもわたしの知らない世界を教えてくれる。
それはある時は誰かの部屋で、ある時は今よりも過去の出来事で、未来に起きている出来事で、外国で、どこにもない場所である。
物語だけれど、彼らの歌には結末がなかったり、前提条件がなかったりする。
だからそれらの場所は全てわたしの中に作られている世界にすぎない。
正解か間違いかもわからない。
だけどたしかに風景は浮かんでくる。空想の話であっても。
この記事を書いた時点では最新であるTabula Rasaをあまり聴いていなかったけど久しぶりにアルバムで聞いた。そしてこれを書いている。
最近は以前のPeopleよりは明確な場所とか設定がない気がする。けど、やっぱりわたしの知らない22世紀からの歌もある。
歌詞は曖昧で比喩的で、いろんな解釈ができるから面白い。真剣に聴くと本当に文学的で面白い。
そして単純に、言葉選びがいい。
そもそも最初に彼らを聴いたのも、「冷血と作法」の不可思議さに惹かれたからだった。
最近はこういう人の思考を知りたいと思う。
ペリカンファンクラブのエンドウアンリも最近のそれ。
彼のブログを見るたびに、曲を聴くたびに、彼の思考があまりにも先をいっているのか、わたしの想像力が足りないのか、わからなくなる。
彼とわたしで見えている世界が同じだとは思えない空想を、彼は当たり前に自分が見たかのように書き記す。歴史が混乱している。
波多野さんも同じだ。
彼は普通の人の3倍くらいの時間を経験しているのではないかと怖くなる。
彼はわたしの知らない世界を、あまりにも多く知りすぎていないか?
私はアメリカもリマもマルタも行ったことはないし、無菌室も集中治療室も、彼の言う浴室も知らないし、どこでもないところも町Aもはじまりの国も行くことはできない。
どうやったらその全部に行けるのだろう?
何度も音楽を聴けばいいか。
でも、聴けば聴くほどその場所が遠ざかる気がしてならない。
初めて聴いたあの瞬間に、直感的に想像を膨らませて私はその場所に行くことができたけれど、聴けば聴くほど想像することが難しくなって、遠ざかる気がする。
彼と同じ感受性を持ってして、この世界で生きれば彼の思考の全てにたどり着けるか?
いずれにせよ、私はピープルの音楽を聴くしかない。そして、想像するしかない。
私はピープルの曲でいろんな場所にトリップした。
中世のような世界観や、100年後の世界、
暗く狭い密室みたいなところも、誰もいない荒野も。
想像した。
いつかFamily Recordだけを流して、東京から全てを回る旅行がしたいと思っている。
できればひとりで、音楽と風景だけに集中して。
どれくらい想像が合っていて、違っているか。
彼の言うアメリカは現実のアメリカ合衆国か、はたまたこの世界にははなから存在していない架空の"アメリカ"なのか、確かめなければならない。
その旅を終える頃、JFK空港からのフライトで、私は「どこでもないところ」にたどり着けるのだろうか。
まだまだ人生は長い。