以下、2019年11月の私の駄文。
解散したバンドのラストライブのDVDを観ていた。
時たま思い出しては見たくなって、でも時間がなくて、ようやく昨日。
解散してからも音源ではたまに聴いていたけど、彼らはライブバンドだったから、映像を見てそろそろ思い出さないといけないな、と思っていた。
もう1年も経ったのに、ようやくフィルムを開けた。
そうしたら、なんか、思ってたのと違った。
映像で見ればあの時の感動も興奮もまた蘇らせることができるから大丈夫、と自分に言い聞かせていた1年だったけど、そううまくはいかなかった。
彼らはライブハウスという空間において、ライブバンドだった。
だから映像で見る彼らは、確かに私の視界に映っていたものだったけれど、その轟音も熱も、私はありありと思い出すことはもうできなかった。
この間閃光ライオットのHPを眺めていて、相も変わらず2013年のライブレポに目を留めた。
これは何度も言っているが、閃光2013年のファイナリストの音楽に出会ったおかげで今こんなにライブハウスが好きで、たくさんの音楽が好きだ。
イントロからの凄まじいヒリヒリ感に、会場全体が、衝動の坩堝になっていたような感覚。
ああ、ここまでの感情の揺さぶられ方は、グランプリかもしれない、という予感とおさまらないドキドキ感。
たしかな衝動を見た、閃光ライオット2013だった。
これが閃光ライオットだ、という瞬間、それを体現するライブ。的確な言葉でそのバンドは褒め称えられていた。
後にも先にもこんな文章が書かれていたのはこの年の、このバンドだけだった。
閃光ライオットの、10代特有の感情がぶつけられている音楽が好きだった。劣等とか衝動とか希望とか挫折とか全部詰め込んだ青臭いほど輝いている泥臭い音楽たちが好きだった。
そして彼らは本当にその体現だったんだろうな、と容易に想像がつく。
尖ったギターも音程なんて無視した衝動的な歌も、それを取り巻くベースもドラムスも、すべて10代だからできた音楽で、10代のわたしだったから心を突き動かされた。
ある意味、引き際を知っていたのかもしれない。
大人になった、なってしまったということなのかもしれない。一瞬、何よりも輝くということは、そのあと堕ちていくことで。
10代の衝動を一番、情熱的に鳴らした音楽だからこそ、20代半ばを迎えた今、それは無くなって然り、なのかもしれない。
それが一番青臭くて青春で、閉じ込めてしまったほうが永遠に綺麗なままかもしれない。
だけど悔しいのは、彼らほどのバンドが、他のバンドよりも先になくなってしまったことだ。
ライブハウスでこそ意味をなす音楽が、その鳴り場所を失ってしまったことだ。
音源で聴いたって伝わらないんだよ。
それがいいか悪いかはわからない。
だけど、彼らの熱量は、音源じゃわからない。わかってたまるか。
彼らの長所も短所も、それだったと思う。足を運べば囚われる、でも、足を運ばなきゃわからない。
閃光の音源を初めてラジオで聞いた時、私はその音楽が特に好きでも嫌いでもなかった。ファイナリストの中で彼らより好きだと思った曲はいくつもあって、彼らの曲はせいぜい4番目に好きかな、くらいのものだった。
でも、たまたま、なんとなく選んだ2014年MINAMI WHEELの2日目、あの時間、SUN HALLにて、全部持っていかれた。
初めて足を運んだライブハウスで、これがバンドで、これがライブなんだ、と思った。
それと同じ日、わたしが閃光で一番好きだと自負していた別のバンドも観たけれど、その日心を奪われて一杯にされたのは、想像もしていなかった、私の4番手だった。
拳が自然に上がって、飛び跳ねた。
気付いたら何列も前にいて、濡れて額に張り付いた長い前髪の隙間から見える、子供のようにいたずらな目の光を、眺めていた。
これは誇張した表現なんかじゃなくて本当だ。眼光が鋭かった。
「俺たちが一番を取りに来たんだ」と、彼らは言ったし、そんなふうな顔でそんな音楽を鳴らしていた!
とにかく、きっかけはそんなことだった。
たまたまタイムテーブルが空いていて、知っている名前のバンドだったからなんとなく入った。
そこからは、地方からも何度もライブを観に行った。
長らえないことがカッコ良かったのかもしれない。
歳を重ねるにつれて、若気の衝動に溢れた音楽は、いつか必ず歌えなくなる。
丸くなる前に、彼らは青いまま終わらせたんだなあ。
2014年、満員だったサンホールから、気づけば何年も経って、確かにフロアの人はまばらになっていた。
それに伴って彼らの音楽やMCは丸くなって、どこかスイッチが入りきっていないような日も感じたことがないとは言わない。
でも、こんなもんじゃないんだよ彼らは、とわたしはもどかしかった。
解散を発表する数日前、ちょうどライブに行っていた。
また来ますと言ったら、笑ってポケットからくしゃくしゃのステージパスをくれた。
向こうからくれるなんて珍しいな、と思ったら解散が告げられた。
なんだよ、決まってたんじゃん、と思った。
そこからのライブは、フロアが満員だった。
彼らも気合が入っていて、「初めに見た頃みたいだ」って思った。
ああ、そういうことか。
彼らは、気づかないうちに少しずつ、変わってたんだな。
気持ち云々とかじゃなくて、たぶん不可抗力で。大人になるってそういうことなんだろうな、と思った。
初めて見た彼らの、あの勢いに、衝動にやられたんだ。それを待っていたけど、衝動を5年も6年も続けられるわけないんだって。
だって、衝動ってきっとそういうものだもの。
解散発表されてから2ヶ月と少しの間に、3回ライブに足を運んだ。
悔しかった。
悔しいぐらい彼らは衝動に溢れていて、比べ物にならないぐらいかっこよかったから。
やればできんじゃん。これ、ずっと見せてよ。
だけど、ずっとできないからいいんだってこともわかってた。発表があったせいで増えた動員と、でもそのおかげで気合が入った彼らのステージのジレンマがたまらなくもどかしくて悔しかった。
もう遅いよ。
一番ショックだったのは、このバンドの生命力は凄まじいと、なんとなく思っていたからだ。
逆境とか非難とか、くそくらえってギター爆音でかき鳴らして跳ね除けていそうなのに。何があっても続くと思ってたんだ。
「いつの間にか僕のやりたいことはフィッシュライフのボーカルではなくなってしまいました」
だから、何度読んでもわからなかった。
この一節が、いちばん、こたえた。
いつだって彼は誇らしげに、「俺たちがフィッシュライフだ!」と叫んでいた。ギターをかき鳴らして、轟音の中で。その迷いのない信念が好きだった。
真意はわからないけど、彼がフィッシュライフをもうやりたくないと言ったなんて、思ったなんて、想像したくなかった。
今更全部、どうしようもない。
10代で彼らの音楽に出会えてよかったと思う。
リアルタイムで、彼らのライブの空気を吸って、共有できたことがどれほどの奇跡で素晴らしいことか!
大人になってからじゃ、きっとあの音楽は響かなかった。でも、10代の頃に聴いた衝動が奥底にあれば、いくつになったときに聴き返しても、その時の衝動と感情と青春が相まって、また鮮やかに蘇らせることができる。
音楽の素敵なところは、そんなところだ。
赤いテレキャスターの色と、
ハウリングの音、飛ぶ赤。
フィッシュライフというバンドが確かに、
真っ赤にわたしの青春にいた。