新しい服を纏って、裸のままで

New Clothesで、彼らは確実に原点回帰したと思う。

 

 

 

 

いてもたってもいられなくてこの文章を書く。

 

こう言ってしまうととても安っぽいけれど、間違いなく「ずっと私の一番」にいるバンド。

 

LAMP IN TERRENの話をやっと書こうと思った。

 

とはいえ、好きすぎるあまりに1ページに収まる言葉では足りないので、今回は私が、彼らを好きなんだと再認識した曲についてに絞って書きたいと思う。

 

 

 

 

New Clothesが出た時、私は「ああ、松本大は全てわかっていたんだな」と確信した。

 

 

 

前アルバム「fantasia」がリリースされた時、私は正直どうしていいかわからなかった。それが、好きになれなかったからだ。

 

私はテレンのギターロックが好きで、ちょっと憂いを含んだような曲とか、ギターをかき鳴らす曲とか、ポップだけれど歌詞はすごく孤独で深かったり、そういうところが好きだった。

 

 

だから、fantasiaが出た時、「いつからこんなただのポップスになったんだろう?」というのが正直な感想だった。

 

 

ポップな曲にポップな歌詞を合わせたら意味なんてないように感じたし、そもそもギターを捨てて電子音に振り切ったのか?と、そこにも納得できなかった。

 

唯一、eveとオフコースが好きだったのは、私の趣向を的確に示していると思う。

暗い曲が好きってわけじゃないけど、音楽はとてもシンプルで歌詞が入ってきやすいし、その歌詞自体も寄り添われていて、かつeveなんかは憂いを含んでいて、そういうのが好きだった。

 

 

でも、とても烏滸がましい言い方になるけれど、私は彼らにずっと私の一番であってほしかったから、fantasiaだってそれなりに聞いていたし、ツアーにも何箇所か足を運んだ。

ライブ直前までアルバムに気持ちが追いつかなくて、でも、やっぱりライブのテレンは素敵で、ちゃんとこれを受け入れていかなきゃいけない、と思ったのを覚えている。

 

でもやっぱり、地球儀で飛べ!とか、こればっかりはハンドマイクも受け入れられなくて、

こういうバンドになるの?と、周りに合わせて飛ぶこともできなかったのを覚えている。

 

 

 

 

そんな時、ポリープでテレンが活動休止をすることになった。

 

 

その時期に発表されたNew Clothes。

 

 

この曲が出た時、確実に彼らの音楽の方向性が変わった、というか、元の方向へ、でも戻っていく訳ではなく確実に前に向かって進んだんだということが、曲からだけではっきりと伝わってきた。

 

 

そして間違いなくこれは、他の誰でもなく松本大、彼自身の歌なんだなと確信した。

 

 

 

 

 

それをはっきり思ったのは、活動休止開けの野音だったと思う。

 

正真正銘、色んな意味で生まれ変わって「新たな服」を纏った彼らが大きなステージに立っていた。

 

 

一回、テレンは自我を失っていて、流行りに流されるようにいわゆる売れ線のほうに流れていっていたと思う。

彼らの音楽はそういうのじゃなくて、もっと重みのあるものであるはずなのに。

 

活動休止ということを通して、もしかすると見つめ直す期間があったのかもしれない。

本当に自分のやりたい音楽とは、みたいな。

その部分は私にはわからないけど。

 

 

その結果、やっぱり大衆受けよりも、彼らのやりたい音楽の本質を見つけてくれて、できたのがこの曲だと。

 

 

 

私がこの曲を好きなのは、いくつか理由があって。

 

まずひとつは、まるで言葉かのように表現がわかりやすくて率直で、彼の伝えたいことが説明なしにわかるところ。

 

私は曲の解釈が苦手なのだけれど、それでもわかるくらいにこの曲はわかりやすい。

 

「理想を求めすぎて壊れた」

「期待の眼差しに焼かれた」

「さあどんな姿で歌おうか決して消えない過去の上に立って」

 

 

まさにステージでライトを浴びる彼ら。

多分、売れたいとかにしがみつこうとして、どんどんやりたいことと離れていったんじゃないかなあ。

だからここからさあどんな歌を歌おうか、と新たに決意を固めている。

全ての経緯と、彼の感情がわかりやすく綴られていて、そこがあまりに赤裸々で、好きだなあと思ってしまう。

 

 

次に、彼らが全てを分かっている、ということが、伝わってくるからこの曲が好きというのもある。

 

「全て」、それは、「fantasia」が彼らにとって「理想を求めすぎて壊れた」、あるいは着飾ったものだったということ。

それを自覚していること。

 

 

道を逸れていたのだとはっきり、きっと気づいていたんだと思う。

そしてそうしてしまった理由も。

 

 

そういう過去を全て理解した上に、新たな決意としてこの曲が立っているから、好き。

 

 

そして3つ目に、この曲のライブパフォーマンスが本当に本当に、赤裸々で身一つであるというところが、大好きで。

 

至ってシンプルな音だけを鳴らしていて、ただ歌声に集中している。

この曲の時はまるで松本大がひとりステージの真ん中に身ひとつで立たされて、スポットライトを浴びているような、そんな光景が見える。

 

「さあどんな姿で歌おうか」と、がなりあげるように声を張り上げて、枯れるまで歌う姿が、

素朴でとても弱々しくもあり頼もしくもあるような不思議な感じがして、そこにとてつもない感情の塊を感じて、後悔も意思も感じて、

とにかくその気持ちのこもり方が、今までにないものだったから。

 

特に好きなのはやっぱりラスサビで、

「さあどんな姿で歌おうか」さらに半音上がって声が苦しくなって、でも声を壊れるぐらいに張り上げて、身体を震わせて歌うその姿と歌声が。

本当に、これからを見る意思を強く強く感じて。

 

「ああ私はこの声が好きなんだ」と何度も何度も思ったし、

「この人は、このバンドはもう大丈夫だ」とも思った、

全てを受け入れてここから、必ず彼らに似合う方へ、私の好きな方へ向かっていってくれるだろうという確証を持つことができた。

 

 

ほんとうにこの曲のラストは、鳥肌が止まらないくらいに迫力のある歌声を見せてくれる。

 

「今が正しい未来」

 

最後にそう力強く歌うそれは、まるで綺麗事ではあるんだけれど、そこに間違いはないと本気で思える。

 

間違いなくNew Clothesで彼らは一つのことを乗り越えて、本当に伝えたいこととか、そういうものに原点回帰をして、

今が本当に、LAMP IN TERRENの本当の形であってあるべき姿であって「正しい未来」だとはっきりわかる曲。

 

彼らの意思と、確実な変革を感じられる、だから私はこの曲が好き。

 

 

この曲がある限り、彼らはもう理想を追い求めて、違う方向へ行ってしまうことはないんじゃないかな。

そう確信して、今もそれは裏切られていない。

 

 

この頃までずっと、私が生で見た最高傑作のテレンのライブは2016年1月23日(いまも日にちを覚えているくらいに)で、そこから更新されていなかったんだけれど、

New Clothesが入ったアルバムのツアー、BABY STEPで、確実に、それも大幅に更新されたと思っている。

 

 

岡山、大阪と行ったんだけれど、本当にこのツアーの岡山で観たNew ClothesとBeautifulが忘れられなくて。

 

the.naked blues、この言葉も、このアルバムで生まれ変わったことを象徴するのにぴったりで、nakedと、bluesyardから使われているbluesという言葉、まさに原点回帰。

 

このアルバムが本当に好きなんだけど、この日は本当に気合いというか力が入っていて。

もう歌う曲歌う曲、心配になるくらい感情を込めて声を枯らして叫ぶみたいに歌っていて。

New Clothesのラスサビも、序盤から飛ばしすぎだよってくらいの声で、震えあがっちゃって。

 

もうその声に釘付けだった。

今まで見たことないくらいの気迫だった。

 

本当に、ここまでの力を込めてくれて、精一杯を見せてくれて、好きだと思った。

 

そして、Beautiful。

力が抜けたように歌っていたかと思えば、サビでいきなり暴れ出す。

歌声ももう歌というより本当に叫びに近かった。

 

「叫ぶように光って」

 

本当に、お世辞でも比喩でもなく、閃光のようだった。

 

そして、ハンドマイクで歌っていた松本大は、歌だけじゃなくその身体でも感情を爆発させていて、壊れてしまったんじゃないかというぐらい暴れ回っていた。

 

衝撃なのか感動なのか、何もかもよくわからなかったけど、Beautifulという曲はつまりこういうことなのかと、ぐっと感じた。

 

「叫ぶように光って数秒を奪っていく」

「眩しいまま胸に今も焼き付いている」

と、まさに。

 

New Clothesはともかく、この日以上のbeautifulを私は見ていないし、おそらくこの先も見ることはないんだろうなと思う。

 

でも、本当にその瞬間はどうしていいかわからなくなって、好きという気持ちが溢れてきて、

私が待っていたのはこれだ、これが聞きたかったんだ、と、溢れる感情を言葉にすることすらできなかった。

 

ただひたすら、彼にしかできないものだと確信をしていた。

 

 

はあ。

 

 

つまりは、New Clothesは彼らの一つのターニングポイントだったと思うし、これからを指し示す覚悟の意思を感じる曲だし、

松本大が過去を振り返って今の自分を書いた、本当に本当に赤裸々な曲だと思う。

 

弱い部分を曝け出していると思う。

し、実際にそんなことをMCで言っていた記憶も微かにある。

 

 

そして、醍醐味である松本大、彼の歌声を存分に発揮して、しゃがれ声を張り上げて力の限りに歌ってくれる曲でもある。

それがとてもステージで映える。

真ん中にギターを持って立って、この曲で「戦う」姿が本当に好き。

 

 

今はもうこの曲から時間も経ってしまったけれど、

当時の私は本当にこの曲ができたことに対して日々感動していて、

私の好きなテレンだ、と毎日のように言っていた。

 

 

今のランプインテレンは、本質を持ったまま変わり続けていると思う。

 

naked bluesが本当に好きだったからその次に優しいアルバムが出た時はずいぶんまた違うな、とは思ったけれど、

それは以前みたいな違いではなくて、本質を同じところに置いた変化であったし、

それでいてやはりnaked bluesと近いものを作るよりも、先へ進んでいる感じがした。

 

彼らはもうどんな音楽でも作れる。

心身二元論でさらにそれを確信している。

 

 

昔は「変わらないで欲しい」と言い続けていて、まあ実際本質は変わっていないのだけれど、

結局長く好きでいるためには、「変わらないまま変わり続ける」ことが必要なのだなと最近になってようやくわかった。

 

なんか色んなアーティストが口を揃えていう「変わらないまま変わる」の意味が前の私にはわからなかったけど、今はわかる。

 

今のテレンがそうなのだ、ともわかる。

 

 

 

なぜなら、本当に何も変わらずにいたバンドの音楽を、今の私は聞かなくなってしまったから。

 

人間、歳を重ねたら感性が変わる。

だから、中高生の頃聴いていた音楽と同じものを聴き続けることはできない。

 

だから、私はそういうバンドから離れていった。

もちろんたまに思い出として懐かしんで聴くことはあるけど、新たに今の歳になって取り入れようとは、どうにも思えなくなってしまった。

 

じゃあなんでテレンからはずっと離れられないのかな、と考えた時に、

彼らは確かに変わらない部分を持ちながらも色々な曲調とか音に挑戦して、パターンを増やして、

いい方向へどんどん変わっていっているからだとわかった。

 

だから、今の彼らが、大好きなsilver liningのような曲を書くことはきっともうなくとも、好きでいられる。

 

というより、彼の声が健在である限りは、離れられないのかもしれないけど。

 

 

そして彼らは彼らのポジションを受け入れて、無理にポップになんてしないで、ありのまま彼らの音楽をやっている。

それが対バンと真逆の雰囲気を醸し出していても、彼らはもう気にしていなかった。

 

 

だからこれからもずっと好きです。

 

 

とても長くなってしまった。これで1曲分のお話。

 

まだまだ好きな曲も、エピソードもたくさんあるから、それはまた次に。